美術風

2006年3月8日 エッセイ
自己満足な気持ちよさの為に、きっとあとで後悔。

 まずその画面を眺めると、全体から感じる郷愁が心に漂ってくる。その漂い方は、どこまでも浅く、決してくどさを感じさせない。その世界に覆われたときに、画面中央の鮮やかな黒が、深い暗さへと誘う。
 その暗さに一時の静寂が訪れるが、ふと見上げたところには、一筋の明かりが、強く、どこまでも明るく降り注いでいる。その先には何があるのか。それは画家がしるのみである。

 もう一度全体をみる。じっくりと眺める。
ああ、とため息が漏れた時には、その筆致に酔った時である。
一筆一筆の呼吸が、数百年を経た今でも、鼓動と共に聞こえて来る。

 これは神が与えたものなのか。その瞬間に、その不可思議な感触を味わい、なんとか理解しようと試みる。しかし、その為には、やはり今の理論、離れたところ、別な概念が必要であろう。

 「ふむ」何を理解したのか、何をあきらめたか。ともかく、その絵との決着を付け、その画像を頭の中に呼吸とともに記憶しながら、次の絵へと向かう。目の奥に残る残像と、心の片隅に残る興奮が、出口を過ぎてもなお残れば、それは良い絵と言えるのであろう。

 
 というのが鑑賞だと思う。ああくどいなぁ。格好付けだなぁ。
ただ、たまにはこういう文章を書いてないと、表現が鈍るしね。

 なんだか美術館に行きたくなってきたぞぉ。

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