錯綜する情報

2006年12月27日 エッセイ
錯綜する情報。親切心というめんどくささ。

やさしさ?

そうか?

真実の言葉は?

ともかく、めんどくさい。そう吐き捨てる不謹慎さ。

他人の不幸でこっちが疲れるのはもうたくさん。

筋道を立てよ。
自分がやりたいようにやればよいのだ。

美術風

2006年3月8日 エッセイ
自己満足な気持ちよさの為に、きっとあとで後悔。

 まずその画面を眺めると、全体から感じる郷愁が心に漂ってくる。その漂い方は、どこまでも浅く、決してくどさを感じさせない。その世界に覆われたときに、画面中央の鮮やかな黒が、深い暗さへと誘う。
 その暗さに一時の静寂が訪れるが、ふと見上げたところには、一筋の明かりが、強く、どこまでも明るく降り注いでいる。その先には何があるのか。それは画家がしるのみである。

 もう一度全体をみる。じっくりと眺める。
ああ、とため息が漏れた時には、その筆致に酔った時である。
一筆一筆の呼吸が、数百年を経た今でも、鼓動と共に聞こえて来る。

 これは神が与えたものなのか。その瞬間に、その不可思議な感触を味わい、なんとか理解しようと試みる。しかし、その為には、やはり今の理論、離れたところ、別な概念が必要であろう。

 「ふむ」何を理解したのか、何をあきらめたか。ともかく、その絵との決着を付け、その画像を頭の中に呼吸とともに記憶しながら、次の絵へと向かう。目の奥に残る残像と、心の片隅に残る興奮が、出口を過ぎてもなお残れば、それは良い絵と言えるのであろう。

 
 というのが鑑賞だと思う。ああくどいなぁ。格好付けだなぁ。
ただ、たまにはこういう文章を書いてないと、表現が鈍るしね。

 なんだか美術館に行きたくなってきたぞぉ。

ハチクロ

2005年9月19日 エッセイ
なんかアクセス元で結構検索されるんですね、ハチクロ。

自分が美大だったので、楽しく読める。
そうそう、卒制は全身だれたよなぁとか、自分探ししたくなる時期ってあるなぁとか。

ただ、残念なのは、先生をもう少し深く書いて欲しいなぁなんて。
美術史の専門だったら、書庫の一つや二つは持っているのが普通なんだけどなぁ。学会に参加しているところとかみたいなー。
後にとってあるのかな。

あと、遠くの田舎から「絵が得意」だけで美大に来てしまった人の苦労がすごくわかる。
世の中には、美術を専門にするやつらってのは、こんなに違うのかと、うらぶれるのも。あああああ。

今年も芸大と5美大の卒制展でもいって、打ちのめされてこようかな。
なんかどうでもよくなって、すごく怖くて、寒気がして、思わず両手を出して防ぎたくなるような感じがして。

それは採用試験に受かった後輩に電話したことからくる悔しさなのか、自分が持っている教員に関する感覚が、全然相方に理解されなかったからなのか、仕事が決まらない焦りなのか、久々にPS2のゲームに没頭してしまっているからなのかはわからない。

だけど、本当になんかどうでも良くて、悲しくて、怖くて、震えていたことだけはたしかで、相方が悪いわけじゃないんだけど、どうしてもあたってしまうわけで、だけど帰ってくるメールが怖かったりするわけで。

嫌な感覚の一日だった。
最後の大会。
予選トーナメント。

レギュラーが2人欠席・・・・おい!

いきなり伏兵の学校に負ける。
なにをやっとるんじゃ!
次の格下無名校にも大苦戦。おのれ。

顧問「まぁ今日はしょうがないですね。もう早くまけちまいましょう」

顧問も今日が最後の大会なはず。なんでそんな・・・?
しきりにこれからの話をしている。来年の部の話とか。


今日であなた最後じゃん。大会終わりじゃん。うちらのコンビ最後ジャン。


自分は勝ちにすごいこだわろうとしていたら、なんだか。

2人とも諦めて、まぁしょうがないかと思っていたら、前回2試合の不調がたたって、相手が舐めたのとこちらの復調で逆転!かろうじて決勝トーナメント進出。

一度死んだ身。トントンと勝ち進む。
とうとうベスト4を賭けた試合。

勝ちがもう少しでこちらにきていた。今までで一番こちらに来ていた。
うちらが決して越えられなかった壁。

追いつめた。

相手の顧問の抑圧的な叱り声に絶対負けない声で選手を褒め続けた。
今日は、一度負けている。しかも最後だ。だからすごく褒めた。

「お前絶好調だぞ!」「最高だよ!」「上手!」

呼応するように選手の動きが良くなる。そうか、こうすれば良かったのかと最後に思う。
絶対に負けないコーチングをした。大事な人も見ているだろうし。

・・結果はあと一歩。本当にあと一歩で負けた。途中まで完全優勢。


なんかやるせなかった。

試合終了後、試合観戦。一番強い学校が手抜きの試合を展開している。

顧問が「実は自分も大会が最後なんですよ」とぼそっと言った。

黙って頷く自分。しってますって。


顧問「あー最後くらいはベスト4行きたかったなぁ」
本当にそう思う。今回は本当に手の中だったから。


顧問はもうこの辺を離れてしまう。顧問が変われば、きっとうちの部活は弱くなるだろう。部員に、足をひっぱりそうな不穏分子もちらちら見える。

一つの隆盛がここにおわりそう。

「素人」同士が頑張って考えて工夫してなんとか達成した、
年間通しての県ベスト8保守の記録。
県大会で、会場に一番遠い学校の記録。

目立たなかったけど、これって大変なんだよ。優勝チームばかりに目がいってますが。

5年前、教育実習中、たまたま通りかかった部室で割れたガラス。
4年前、郡大会でのまぐれの勝利。

・・・・・
・・・・・


ふっ、まぁ面白かった。

最後の練習で泣かないようにしーよおっと。

悩み。

2005年2月25日 エッセイ
頭が痛い。ストレスか。
自分の体なのにちっともわからない。
ぼおっとする。だるい。熱っぽかったりする。
うまくいかない自分の身体に困惑する。

最近、自分を見つめることが多い。
自分の立ち位置を、現状の環境を、必死で把握しようとしている。


もう後ろは詰まっているのだ。
先へと進まなくてはいけない。

卒制展をみる。
作品作品が、表現しろ!表現しろ!と迫ってくる。
「ああこれはこんな技法か、やってみよう」と思っていた自分が、
「こんなのできっこないわな。」とため息をつく自分へと変化している。
絵画棟から見る本郷周辺は相変わらず綺麗で、こんな風景ならきっと模写しちゃうよなと思いつつ、それを許さない芸術家の卵達に嫉妬する。

デジカメで写真を撮る。
芸大会場ではあんまり気づかなかったが、都美会場では顕著。

綺麗なものばっかり追っている。律儀な描写なものばかり。
写実的にしか描けない人が、創造的なものに憧れるのと同じく。

こんなの自分の好きなものじゃないと分かっている筈なのに、それなのに追ってしまっている。

コンプレックス?
とにかくシャッターは止めた。
自分の先行きをこの会場に求めなくてはいけない。
鑑賞なら美術展にいけばいいんだ。

会場の外で何回も煙草を吸う。
気持ち悪さが全身を駆けめぐる。

なんだろう。なんだろうなんだろう。内的な思考の中で言葉が這いずりまわる。

不快な頭痛と戦いながらの鑑賞。
答えをみつけながらの鑑賞。

一つの答え。
自分は挫折していたんだ。それをやっと悟る。
たくさんの挫折。たくさんの壁。
それを見なかった自分。

身体の不調いいわけに、その壁がでれば蒲団に潜り込む。
熱があるとほっとする。「ああ、一日中寝てなきゃだ」
身体と精神の停止。
病気を求め、不調を求め、自分に言い訳して言い訳して言い訳して・・・。

ちっぽけなプライドと、何者である自分を顕示したいがために。
いや、何者でありたいがために。
もはや何者でもないのに。


・・・・・



自分の立ち位置がわかりかけている。
自分に嘘はつくまい。まっすぐ自分を見よう。
自分がみている自分のギャップ、認知的な自己を納得するものに。
進歩的な方向に。

もう、言い訳、ごまかしはいけない。
身体の疲れで逃げるのもいけない。
挫折を持ちきれないくらい抱えていることに納得したい。
この現実を膨大な悲しみと共に分からなくてはいけない。
思い出せば、涙を流す時間は減っている。
みていないんだ。ほら、今頃涙が落ちていじゃないか。



・・・・・



目に見えない苦しさとストレスが自分を包む。
人生の瀬戸際。
次への踊り場。

これをどうにかしなくては、明日の自分はないだろう。
ちがう、しなければならない。